ブーゲンビリアの塀の中には

"幸せの実がなる庭がある"

34日目:舞台に出会って人生が変わったという話 (CSL AWから1年)

「人生を変える作品」って気軽に出会う文字列だけど、実際にそういう作品に出会うことはなかなかない。まれごとだ。こういう出会いがあることは僥倖だと思う。
 
「自分の人生で出会った、かけがえのない作品」ならいくつか挙げられるけど、「人生を変えられる」まで感じたことはなかった、というのが正直なところだった。
 
でも、今はひとつだけ「これで私の人生は変わった」と言える作品がある。
 
「Club SLAZY - Another World-」(以下CSL AW)
上演時期:2016年7月6日~2016年7月17日
 
 
 
 
この作品に出会っていなかったら、今の自分はどうなっていたんだろう。
あの日、あの動画を見て、「あ、この人いいな、もっとみたいな」って思わなかったら。
あのときチケットを思い切って買わなかったら。
そもそも私があの原作を好きになってなかったら。
 
どこに運命の分かれ道があるのか分からない。
でも、こんなに「あのときの自分の選択に感謝した」ということはない。
 
いつも自分の選択に自信がなくて、他人から選ばれることに興味があって、疲れ切ってもう自分の選択はどうでもいい、他人が思いたいように思えばいい、とやけになっていた自分が、今、人生で初めて「次の10年をどうすごそうか」と前向きになれるのはこの作品のおかげだ。
 
ちょうどこの作品を初めて観劇して1年がたったので、自分のエモーションをまとめてみることにする。
 
※以下、「この作品はどういう作品か?誰が出てるの?」といった話は一切しません(最後に、ほかの方が書かれた最高にわかりやすいブログのご紹介だけします…)
 
 
CSL AWという作品は、ほかのClub SLAZY(以下CSL)シリーズとは異色で、1~4、Finでは「愛のあたたかさ」「人を思うということの尊さ」というのが根底にあるけれど、AWでは「『愛』という甘美な言葉の裏にある暴力性」という点にクローズしている。
 
「あなたのためを思って」「あなたのために」という言葉は、何も知らない第三者から見たら「愛されている」のだと思う。
 
確かに、そこに「愛がない」とは言い切れない。でも、それは本当に、その「あなた」のためなのだろうか。
 
 
CSL AWでは、『あなたのため』という行動が全部裏切られ、破綻し、すれ違う。
 
「一人前のLazy(ソロステージをする演者)になってほしい」という思いから、ActはEyeballに「自分が教わってきた」教育を施す。自分はスパルタで育ってきて成長できた、だから自分の弟分にもそれを行う。でも、Eyeballの優しい性根では受け止められない。Eyeballはひとり「自分が弱いのがいけない」と思って苦しむ。そして、「強くなりたいから出たい」と告げたEyeballに対し、Actは「裏切られた」という思いを爆発させてしまう。
 
「この人は自分を、自分たちを任せるに値する『大統領』だ」と、V.Pは自分を懸けて、後輩でありトップエース(この店で最も"偉い"とされるNo.1)のWillを支える。Willはとても美しい、ただとても気が弱く、常に「自分はトップにいていいのだろうか」というプレッシャーと戦っている。「自分はそんな人間じゃない、ここから逃げ出したい」と自己否定している人間に、常に「あなたはトップだから、私が支えるから。私はあなたのためにいる、私なんていらない」というほどにいて、常に先回りする存在がいるというのは、とても"圧"を感じるんじゃないのだろうか。
 
「愛されていないわけではない、おそらく自分は目に見えて分かる虐待を受けたわけでもないのに『愛されていない』と感じる、それは私がよくない人間だからだ、できが悪い人間だからだ、私は本当は愛されるべき存在じゃないのだ」とずっと感じて、苦しくて、つらかった。
 
インターネットを開けば、自分よりもっとつらい環境にいる人がいる。
壮絶な人生、と呼ばれる話もたくさんある。
そんな中、私は属性だけ見たら何もわかりやすい傷がないのに、どうしてこんなにむなしくて、つらくて、愛を感じられないのだろう。
 
そもそも、これは本当に「つらい」なのだろうか。
自分が弱いから「つらい」って思っているだけなんじゃないか。
 
もう「つらさ」とも言えない自分の中の空洞が、この作品を見て、埋まっていった。
 
『「ああ、愛というものに含まれる『暴力性』という存在を認めていいのだ』と、受け入れられるようになったのだ。
 
 
 
作中に出てくる、一番重いシーンはWillがV.Pに別れを告げるところだ。
「感情のない世界があるんだって」と告げ、「僕、そこでならひとりで生きていけると思う」と意志を見せる。「あなたのため」と全てを自分に捧げるVice Presidentに自立を告げる。まさか、自分から離れるなんて。信じてもいなかった、というV.Pは「エレガント」という自分の哲学を捨ててでもすがる。「それが時には暴力になるんだ!」というWillの言葉は、相手も、自分も傷つける。それでも、言わなくてはいけない。Willがさっさとジャケットを脱ぎ、"理想の世界"に向かう中、呆然として、別れを認めたくなく、慟哭するV.P。
 
このシーンを初めて見たとき、私は頭がキーンとして、思わず叫び出しそうになった。「私は何を見させられているんだ、何を見ているんだ」と。
 
これは、私の家族の周りで、よく見る風景だった。
 
 
私のいとこはもう、20年以上姿を見せない。
「あなたのため」という言葉で息子たちを縛った叔母の元をひとり、またひとりと去ってしまって、私ももう気軽にいとこたちの名前を呼べない。
帰ってこないいとこたちの姿をそこに重ねてしまって、その日はとても蒸し暑かったはずなのに、震えが止まらなかった。
 
私自身も、父親から「俺の娘なんだから」と言われて育った。
「俺の娘なんだから、お前はできるんだから」この大学にも通る、お前ならもっと優れたところに行ける、お前はやれる。実際、私はなんとかそのハードルを飛び越えることができていた。
 
「じゃあ、もしその『できる』ラインから外れてしまったらどうなるんだろう」と思ってずっと生きてきて、実際に私は就職で思うような(父親が望むような)ところで働けず、たまたまうつになってしまった。父親の理想像からは遠ざかってしまった。
 
そこに、「早く結婚しろ、子どもは早く産め」というプレッシャーをかけられたのも輪を掛けた。昔は「色気づくな、髪の毛より頭の中を磨け」と言われてきたのに、ある日突然男を作って結婚しろって無茶な話だ。できる人もいると思うけれど、自分はそういうことができる人間ではなかった。
 
ただ、そこで親を恨む気持ちはわかなかった、そもそも怒りや恨みは出てこなくて、困惑、混乱、どうしたら自分は認められるのか、という途方にくれた思いだけがあった。
 
でも、そこから「逃げる」「去る」という選択肢があるのだ。本当は。
苦しいと思うことは間違ってないのだ。
 
この作品を見るまでは、思いもしなかった。
 
 
 
この作品を見てから、私は親を嫌っても良い(必ず嫌えというわけではない、嫌うという選択肢もあるということ)とか、『「愛されているはずなのにつらいと思うこと」は間違っていると否定しなくていい』と素直に受け入れられるようになった。Eyeballの姿や、Willの姿を重ねた。つらいと思っても、去ってもいい。そこに自分の愛がないわけでも、相手の愛がないわけでもない。愛されていることと、それに応え続けることというのはイコールじゃない。
 
前向きに、きらきらと世界が輝いて見えた――というような、すっきりとした話しではないけれど、これまでぼんやりとぶれていた心が、ようやく自分に焦点を向いた。
 
 
 
そして、「美しいものを美しいと言っていい」という許可を自分に与えることができた。これも、客観的に見たらばからしい話にみえると思うけれど、私はやっぱり家庭で「イケメンにきゃーきゃー言うのはバカで人間のやる行為ではない」「男が歌って踊るのは気持ち悪い」みたいな親の意見をすり込まれたりして、美しい男を回避して生きてきたのだけど、いや、いいじゃん!って。ぽろっと自分に許せるようになった。自分に何かを許すことって、大がかりって思っていたけど、案外ぽろっと外れるのか!と驚きもあった。
 
(ブログでは最後になったけど、実はこれがきっかけになって、ぽろぽろと家族について考えることになったのだ。「何を見たんだ!?」という衝撃&「美しいな…すごいな…」と感じる→「えっ、美しいって思って…いいんだっけ???」と自分に問う→「いや…いいでしょ…っていうかこれはもしかして…」と気づく→上記のあれこれ…という感じです)
 
 
1年間、何回もCSL AWについて書こうとして、何回も泣いたり、重すぎる、必要以上に親を責め立てている、と思って、手が止まった。でも、よううやく、書くことができた。うれしい。
 
私は去年この作品を見るまでずっと「死にたい」「生きてる価値がない、早く死のう」って思っていたけれど、今は、もっとたくさんの出会いを経験したい、って思っている。
 
自傷行為もやめた。リスカとか、目に見える形じゃないけれど、私はとにかく自傷行為をやめた。私は、私が望む形でお金も気持ちも心も体も使っていきたい。楽しいことがあった、と思って死にたい。
 
まだしばらく懐かしむけど、いつかはきっと忘れる。
でも、今はまだこの作品への愛を抱えて生きていく。
 
 
 
 
※この作品について、全体の説明については優れたほかのブログがありますので、そちらをご紹介します。
 
おそらくファンなら誰もが一度は読んだ、「つれづれと」様。
AWまではこちらのブログに勝るものは…ないって思っています。
 
 
シリーズ全作品、全キャストについてわかりやすくまとまっている!
「世界の中心で好きを好きだと叫びたい」様。
 
 
ほか、いろんな方の感想もありますが、シリーズのことを知るには上記2記事がおすすめです。。。
 
 
Club SLAZYという作品は、同名の架空のメンズキャバレーでの人間関係を見る話だけど、いわゆる「ホストもの」とか「のしあがってやる」という話では一切ない。
 
私個人として、「人を思うということ」「出会いと別れ、それは本当に『悲しい』ものか」「誰かのために動くということ」とか、「愛と優しさと、その裏側にあるもの」に愚直に、不器用に向き合っていく人間たちの物語だな、と思っています。
 
 
 
 
 

33日目:本を買いました&

「買います」ってブログに書いた、phaさんの『ひきこもらない』と白井剛史さんの『愛を味方にする生き方』、そして前から買おうって思っていた『魔法科高校の劣等生』21巻・22巻(私はこのシリーズだけは1巻から読み続けてる……なぜか…)を買いました。給料日~~!
 
職場の近くの書店だと職場優待がきくのでお得に購入できるのでありがたい。
 
給料日に単行本をまとめ買い、文庫本はよいのがあればぽろぽろと…という感じですが、最近文庫本も1000円近くするのが増えてきて、ううう…となる今日この頃です。Kindleもいいけど、タブレット割ってから使ってないんだよなあ~~。Kindle Fire買ってKindle Unlimited使ったらもう少しお手頃になりそう。でもやっぱり手元にないと、文章が残らないんですよね……不思議……。
 
 
本を買って、まあ上記のものだとまとめて4000円くらいになるんですけど、買ったときの喜びがあります。
 
で、「このお金なんだか払いたくないな~」っていうものと、「これはめっちゃ欲しかった!!!!お金払えることがうれしい!!!!」っていうものがあって、前者の割合をできるだけ少なくしたい。税金とか光熱費とかそういうのは別に「払いたくない」とは思わないので、要は欲しくもないものにお金を払うとか、あと「これが見つからないから改めてお金を払って買う」とかそういうやつです。あとは…なんだろう…なんか買った直後にテンション下がるものある…。洋服とか…?よくわからない。チケットとかも、「これはめっちゃ払いたい!!!」っていうのだけ行くようにしてる。「ファンだから行かなくちゃ!」みたいな義理・義務感で払うお金は少なくしたい。行って楽しい、心から感謝できるものにお金を払いたい。ちなみに私は来月、好きな俳優が出ている、とても苦手な作品の円盤を代金引き取りで受け取ることになってるんですが、既にもう購入する気が失せています。お金は払うけど正直私は全然見返さなかった。見返す円盤と見返さない円盤なら見返す方だけ欲しい。
 
 
話はそれましたが、既に『ひきこもらない』と『魔法科高校の劣等生』のほうは読み終えました。
『ひきこもらない』は適度に力が抜けているし、かっこつけたところもなく、良い文章だな……って思いました。
生活に関するエッセイって妙に格好つけたり、意識高くなったりして、読んでて疲れちゃうな、ということもあるのだけど、この本はそういうのがなかったです。好きな本です。
 
魔法科高校の劣等生』、本当にこれなんで読んでるんだろうな。好きなんですけども。読んだときは「ライトノベルの勉強したい」→「絵が萌え萌えしてなくて良い」(1巻)→「魔法ってあるけど…割とこれはプログラミングの話では…?」って感じでとっつきやすかったんですよね…。あまり特定のキャラクターに思い入れというのはないのですが、ぐいぐい読めるのでつい読んでしまいます。これ最初2011年に出てるっていうのを最近知って結構びっくりです、もうそんなに時がたってしまったのか……。
 
 
全然変わって旅の話。書いておかないと忘れそうだからメモ的に。
 
シンガポール 早く日程決めること
ポルトガル  めちゃよさそう 行きたい
・台中     台南行ってなかなか良かったので今度は台中に行きたいし、住むことも考えて滞在したい
 
引っ越しだったり病院だったり、いろいろ決めないといけないことがたくさんあって、本当に苦手なんですけど、旅は割とえいって決められるんですよね。なんででしょ。
 
ところで引っ越しなんですが、皆さんどうやって住みたい駅とか決めてます?
 
私はもう「ここはいやだ…早く海外に行きたい…」っていう現実逃避が先に立つせいか、自分の生活に対するビジョンが真っ白なせいか、本当に住みたい駅っていうのが今なくて困っています……。
 
困ったなあ。
 
今住んでる部屋が元々狭く、日当たりとかもよくなくて、早く出たいとは思ってるんですけど交通は便利。
ただ家賃相場は高い。できれば押さえたいけどいっそ高くてもいいかもしれないってぶれてる。
古いのは気にしない。
2部屋・コンロ2口、バストイレ別、フローリング、ベッドやテーブルがおける部屋(布団生活、全然向いてない)、日当たり良好なところ。
 
治安が良いところで交通の便がよくてスーパーも欲しい(24時間やってるところ)
そして都内で山手線内がいい。
 
うむ。。。
 
そろそろ「考えてます」が使えなくなってきたので真剣に考えないと…
 

32日目:最近読んだ本など

最近、本読んでいますか?
私はちょっとサボりがちなんですが、書店や図書館には足を運ぶようにしていています。

最近は雑誌とかどれ読めばいいんだ~~??とか、自分の年齢とファッションと悩みにフィットするものが見つからなくてうんうん悩んでいます。

(雑誌は最近dマガジンを導入しようかな~と思ってます)
(なぜならば同じドコモ系列のdアニメストアが激しく便利なので)

話がずれた。


職場では基本的に何を読んだという話もしないし、気がつくともう今年前半が終わりそうで、ひえええ……と震えているところなのですが、最近おもしろかった本とか、給料出たら速攻買うぞと決めている本などをぬるっとまとめていました。


『わたし史上最高のおしゃれになる!』
小林直子 扶桑社

買いました。まだ読んでる途中ですが、「洋服分からない~~!」ってぐじゃぐじゃしている脳みそがぴしゃっと整理されていきます。私は職場の服装が自由なので、メリハリがつかないんですよね……。

そしてここでも「なりたい自分を決める」というのが重要で、ここがぼんやりしていると確かに服装も決まらない……結局ここに戻る……生きていくというのはこういうことか……。

『幸福はただ私の部屋の中だけに』
『紅茶と薔薇の日々』
『贅沢貧乏のお洒落帖』 

買いました。森茉莉のエッセイとか解説とかインタビューなどを、生活・食・服などのテーマでまとめたアンソロジーです。1つ1つの文章は短いので、どこからでも読めるのと、どれもが小気味よいので読んでてストレスがない……。通勤途中や観劇前など、どこでも活字がないと生きていけない民にとって必要な本です。

『ひきこもらない』 pha 幻冬舎

買う予定。装丁がいいな~と思ってぱらっと見てみたら内容も良かった。ぬるっと生きる姿が先週と今週の「ザ・ノンフィクション」で紹介されていて、その界隈に以前足を突っ込みかけた(Twitterの世界は案外狭い)ので元々興味はあったし、以前からずっとネットで追っていたけど、初めて欲しいと思った。私は「海外でバリバリ働きたい!!!!丸の内とかでガンガン働きたい!!!!」っていう思いと、「いや、のんびりゆるっとまったりと生きていきたい、ていうかそういうの無理……」っていう気持ちの2つが同居していて、だいたいそのせめぎ合いで苦しんでるんだけど、その「生きづらい、苦手、生きるのはしんどい」みたいなところがこれを読んでいると少し穏やかになる。

自分はメンヘラキャラとして生きるには外をあまりにも気にしすぎていて、というかメンヘラじゃなくても常に「外からみて自分はどう見えているか?」ばかり考えているので、「外からどうあれ自分は自分」という強さを求めて本やネットをさまよっている気がするなあ。

『愛を味方にする生き方』

買う予定。これは……ガチなスピ本で、読んでいても「?」な描写は確かにあるんだけど……手に取ったときの不思議な感覚が忘れられなくて……苦笑
「愛を使って生きる」てどういうことなのかな~、スピでいうところの宇宙や愛ってなんなんだ?って感じをつかむために読みます。笑

『ビニール傘』 岸政彦 新潮社

第156回芥川賞候補作。この方の『断片的なものの社会学』を読んでいて、「えっ小説書かれたんだ……」からの単行本。タイトルが本人自筆なのが良い……新潮社こういう装丁できたんだ……(新潮社装丁室のデザインをいまいち信じ切れてない自分がいる)買う予定。おもしろそうです。



こうして見ると、私は今のところ即物的に「いかに生きるか」みたいなのをほしがってるのかな…って思う。ほしがってますね。外からの目線が気になって気になって仕方なくて、自分の中に哲学がないから本に求める…みたいな…。前からこうだけども、前はこれと寂しさといろいろないまぜになって酒に走って失敗して、今は酒を外で飲んでない分まだましなのかなあ。うう。いや、たまにはふらっとお酒飲みに行きたいです!!!今飲んでないのは別に自重してるんじゃなくて単に仕事が変な時間に終わるから!!!!


あとこれは去年読んだ本ですが、一応忘れないように。
『あの素晴らしき七年』 エトガル・ケレット 新潮社
『あなたを選んでくれるもの』 ミランダ・ジュライ 新潮社
この2冊は去年読んで最高だったものです。は~。



31日目:愛ってもっと

1カ月近く空いてましたが私は元気です。いや、会社については悶々としてるけど、会社が嫌っていうより「私はもっと自分の名前が残る仕事がしたい~~別に有名じゃなくてもいいけど、確実に自分の名前が残って誰かのためになる仕事がしたい~~」みたいな思いがあるのかなあ、って思って、ノートに書いて保留してます。
 
カフェであーとかうーとかなりつつ、スマホを狂ったようにみつつ、たまにノートにがんがんとポエムともなんともつかない文章を書いている三十路の女、怖いですね。アホらしい!と思いつつ、ぐだぐだと「結局なんなのさ」みたいなことを書いています。タブレットPC……だとネットみちゃうから、ポメラ的なものが欲しいです。ノートとキーボードでぱちぱち打つのと両方やりたい。
 
 
先日は隣にスピな方が集まっていて、自分もそういう系の本読むから分かるけど、でもやっぱり大声で「前世のカルマが」「これは宇宙の意思」とか話しているとびっくりしますね。私はびっくりしました。おもしろかったけど……。
 
ブログ書いていない期間、いろいろ本を読んでたんですけど、最終的に「自分をどこまで信じて愛せるか」っていうことなんだなあ、と思う。自分を愛していたら結果的に人を愛せるようになる……というか、他人をどうこうしようとかなくなるのかなあ、とか。自分が本当にやりたいこと、望んでいること、その瞬間のものと、5年くらいのスパンのものと、「結局死ぬときにどうなっていたいか」っていう望みを、他人の判断ではなく、自分の心だけをちゃんと見て行動できるかという状態に持っていくために、いろんな本があるのかなあ、って思った。
 
それを自然とできる人もいるだろうし、神というものを通す人もいるだろうし、宇宙とか、そういうのになる人もいるんだろうな、と思う。今のところ自分は引き寄せの法則の本がしっくり来たからそれを読んで実践しているけれど、それが仕事だったり趣味だったりいろいろそこに行き着く手段はあるんだろうな。
 
 
そんなことを思っていたとき、たまたま河相我聞さんのブログを読みました。
この記事を全ての人類読んでくれ…という気持ちになりました。
 
私はべっこべこに自分を信じられなくなってから、立ち直ろうとしている人間なんですけど、こ、この境地!!!この境地になりたい!!!って思ってます。というか、ぐるっと回って(自分は学歴高いので)「学歴は高くて困ることはまあないけど、人生で絶対必要か??って言ったらそんなことはないし、生きていく上で大事なことはここにある」って、エア子ども(独身だし子どもいないので)に読ませたいな…って思いました。本人が勉強好きです!!って場合は別ですが。(実際私は勉強自体は好きです)
 
てかまず自分よ。だいぶ自分が何がしたいかとか、そういうの、見るくせついてきました。
 
 
ただ、ね~。部屋でスマホばっか見て頭痛くしているのはどうかと思うよ!?って思う。
時間をもてあます悪癖をどうにかしたい。
 
それではまた。
 
 

30日目:心の扉を開いて生きるかどうか

今日「美女と野獣」見に行ったところ、主人公のベルが変わってる~って村の人が行ってるときに「あの子の頭は雲の中」という台詞(歌詞の一部)があって、ああ……としっくりきてしまった夜です。

本が好きで「もっとどこか広い世界が見たい……」って思っているの、確かに頭は雲の中だな…。「地に足がついてない」っていうよりそっちのほうがしっくりきますね。

ううん。

 

ちょっと今「前向きさ」が停滞中です。

会社でも今までそんなことしたことがないのに、妙に上司にイライラしてしまって、態度に出してしまったりして、後から「なんであんなことを……」って落ち込んだり、ひさしぶりに自己嫌悪に陥りました。今までやったことが無い分余計に落ち込む。甘えてるのか?!?!?!

ただ、以前はずるずる引きずっていたのは、本当に分単位で「よし、次は笑顔だ!」って割り切れたのは良かったと思う。良かったです。そのとき自分でもしなくていいことした~~って思ったんだけど(変な声のかけ方したりしたし)、もうそこは仕方ないし……仕方なくないかもだけど……仕方ないです!

子宮筋腫が見つかって、このままだと妊娠厳しいよとか言われて、本気で10年後、20年後が不安になったというのもあります。20代のころは、本当に10年先のことなんてどうでもいい!って思って泣いてたけど、今はもうリアルにどうする?!?!って思っているし、私本当にこのままこの会社で、この仕事して終わるのかな……って思ったりして。

今の仕事は正直将来性とかないですし、会社からも「必要だけど利益にならないよね…」みたいに思われている部署なんですよね。ただ、そのままいれば(今のところ)給与は下がっても定年まで働けるだろうし、っていう。やりがいも、ないわけではない。でも、本当につまらないです。つまらなくないときもあるけど、やっぱりどこかで「この仕事はつまらないな」って感じてる。「このまま、微妙に『やだな、この面子とずっと過ごすのか』って思いながら仕事したくないな」っていうのがある。何様だって思うけれど、真剣にそう思ってます。

「この人たちには心開いたら何言われるか分からないな」って思って口や心を閉ざしてるの、つらい~~~でも本当にここで心を許したくない~~~って思ってるので

①心を開いて生きる

②心が開けるどこかを探す

③割り切って閉ざして仕事して、別の逃げ道をつくる

とかしかないのか??って思ったり、ね。

う~ん。

29日目:部屋・人生・もろもろ

部屋掃除を始めた後、東京に引っ越してきた友人の家に遊びに行きました。
その家がめちゃくちゃコンセプトのある家で…「住むっていうのは人生で大事なところだし、お金をかけていいと思う」って言っていてなるほどなあ、と感じました。

ところでそのとき、「引越祝いだし、ちょっとしたもの持っていこうかな」と思って、たまたま用事があって向かった東京駅で「駅限定・新幹線スパークリングワイン」みたいなのを買ったところ、「え?!?!?なんでこんな好みドンぴしゃのやつ持ってきてくれたの!?!ありがとう!!!」と非常に喜ばれました。東京駅の駅舎も好きだし、新幹線のシルエットも好きとのこと。引き寄せだ…。

あと、自分の誕生日も祝ってもらって、とても良い誕生日でした。よかった。


で、翌日です。不調があったため、婦人科に向かい、「がん健診もしましょうか」と言われたので、「ついでに『めちゃくちゃ貧血』って言われたので、検査してもらっていいですか」と超音波検査をしてもらったら…

子宮筋腫が見つかりました。検査とっても痛かったでしょ。筋腫のせいで、子宮の形が崩れてるし、ちょっと道がゆがんでる」
「卵巣のう腫も見つかったし、これはもう手術前提でいきます。筋腫が大きすぎて、このままでは妊娠はできない」

とのこと。

え~~~~!!ってびっくりしつつ、いやあ、前々から「ああ、たぶん筋腫できてるなあ」って思っていたところはあったんだよな……って、後悔の気持ちが混ざって頭ぐるぐるしました。

病院は自分で決めるのか~~。手術…1回卵巣のう腫やったのに再発…お金…時間…ていうか舞台みられるのかな……既にチケット撮ってる分は行けますように……

まさに大厄だな!ガハハみたいに笑える気持ちもあるんですけどね。


で、、子宮筋腫どうしてできたのかな~って考えたときに、まあ不規則な生活やら悪質な食事とか、思い当たる節はありすぎなんですけど、自分の中では「自分はもう絶対セックスしてはいけない」「自分は女性として幸せになったらいけない」「自分の血を残すなんて本当に申し訳ない」(あくまで自分についてです)っていう自分に対する呪いをここ数年抱いていたので、「見事にそれが叶ってしまったやつだ……」って思いました。(本当に自分についてだけです!!1番は体質っていうか生活の悪化なのはある)

自分の悪癖が嫌すぎるあまり、性的なものを抑えれば、そういう欲求を殺せば、問題ないじゃん!!!っていう精神的な思いが筋腫になったのでは??????(たびたび言うけど自分の筋腫についてです)

中に何か入れると激痛が走り(検査きつかった)、子どもがあやうい位に変形し…って本当にそのとき自分が嫌いでしかたなかったときに考えたことが見事に叶ってしまってるんですよね。うーーわーーー!!!!!

それに気付いてから、(マジで自分についてなので他の人の筋腫とかもろもろには責任を負えないし、参考にはしないでほしいんですけど)「子宮…ごめん…」って謝ることにしました。気休めだけど…かなり…。

「これで『小さくなりました!!!』とかあったらいいなエヘヘ」っていう気持ちもあるんだけど、何より真剣に「いや、自分で自分の可能性をつぶしたらいかんやろ!!!!!」って思いました。今相手もいないし、子どもを産む産まないは巡り合わせで産んだら絶対幸せっていうのはないけれど、幸せになる可能性はあるわけで……。少なくとも今のところは「1人くらいは産んでみたいものだなあ」みたいなことも思ってるし…夢だけど……。

私の子宮ごめんよ…いつもいてくれてありがとうな…。


部屋掃除したときに、「自分の幸せ、理想の自分みたいなのを常に遠いところに置いていたけど、自分の足元からだよなあ…」って思っていたら、今回の筋腫発覚で痛感しました。

同時に「いやマジで部屋掃除しよ!!って思ってよかった!!!」って思いました。手術したら1カ月程度安静らしいんですけど、部屋汚かったら絶対安静できないし、家族に手伝いきてもらうのもはばかれるし…無理of無理…。

これが『サラとソロモン』の「万事順調」ってことなのかなあ、と思ったり。

『サラとソロモン』でも体の細胞を信じろみたいなのがあったから(適当が過ぎるまとめ)、ちゃんと病院に行きつつ、精神を整えるためにも引き寄せやろうと思います。



28日目:部屋掃除始めました

昨日は休みだったので、1日部屋掃除してました。いや、途中かなり休み休みしてたから、実質…何時間くらいなんだろ…。3時間くらいか???

45リットル入りのごみ袋が10袋以上ぱんぱんになっても、まだまだまだまだ部屋は混沌のままなんですけれども、それでもやり始めてよかったな、と思いました。

まずは冷蔵庫の中の不要なもの(食べられないもの)を一掃しました。びっくりした。調味料以外残ってない…!!!

冷蔵庫はかれこれ10年近く同じものを使ってるんですけど、ようやく「あ、このレイアウトはこういう風に置くためにこうなってたのか…!」って気付きました。これまでは「とにかく入れとけばいいでしょ」ってぎゅうぎゅうにする→見えないから奥のものがダメになる→使えないから捨てて新しいものを買う→っていう悪夢みたいな事態になっていて。

おそらくこれまで気付かなかったのは
①自炊したいという欲望があまりなかった、というかむしろ嫌いだった。
 料理そのものは嫌いじゃないけど、作ったものが嫌い
②「どういう状態がきれいなのか」っていうのを知らなかった んだな~~って思う。
あと、冷蔵庫の中に100均のカゴ入れて整理したらいいんだ~!とかそういう便利な情報も知らなくて……



あと、謎の粉(粉っていうか砂っていうか…人間の住む部屋としてやばくないですか???)が積もった床を掃除していて、ふと「ここも私が入ったときはきれいだったんだよな…」っていう思いが浮かんできました。これまでの人生で初めてです。

今まで30年以上生きてきて、「部屋は汚くなるもの」「引っ越しのときにきれいにするもの」という概念をずっと持っていました。

で、それがさらに20代から強い落ち込みの時期に入って、「自分が嫌いで仕方ない」「自分なんかいない方が家族のためだ」と常に考えていたのだけど、昨日部屋を掃除してて、その「自分が嫌い」という10年積もった重いよどみがこの部屋なんじゃないかなあ…って思いました。

そもそも掃除が嫌なのも「どーせきれいな部屋にはできないし!完璧にできないなら掃除したくない!」みたいな完璧主義みたいなのもあったんですよね。どうせ今ここでゴミ袋10袋出してもきれいにならないんだったら、落ちるとこまで落ちるか、部屋を出るときにきれいにすればいい。いっそこの部屋燃えないかな~~みたいなことを思ってた。

それが昨日「積もりに積もった『自分が嫌い』『自分はきれいな部屋に住む価値がない』という重いがこの部屋のごみなんだ」て思ってからは、すっと楽になって。

「もちろん時間はかかるけど、絶対きれいにできるから、掃除しよう」って意思が生まれました。


「今の部屋引っ越したいんですよね~~本当にあれがダメだしこれがダメだし」って部屋のきらいなところばかり挙げていたけれど(実際にぼろかったりやばかったりするところはある)、ここまで汚くしたのは自分なんだよなあ…としみじみしましたね。これまでは自分が汚したっていう意識もなかったから……。



あと、これまで掃除嫌~だったのは、主客転倒してたからだなって思いました。
部屋が汚くなる理由にもいろいろあると思うけれど、私の場合はたとえば「推しキャラや俳優さんの写真があるから(部屋をきれいにしよう)」っていうのはモチベーションとして弱かった。(ただ、これで写真とかを整理しよう!っていう概念が生まれたから、ミクロの視点ではよかった)

「自分の今の食事、食べてるものもだけど、場所も全て『単なるエサ』だなあ…汚い…でもまあいいか…そういう人生…」って思いながらここ1年以上暮らしていたんですけど、私は自分のことを「セルフ・ネグレクト型」の部屋散らかしなんだと思うので、こういうタイプには外部要因より、まずは自分を認めるとか、好きになるとか、そういうのが先って思いました。外部要因だと「じゃあ私がその外部要因を排除したらいいよね」ってなるんですよね。落ちるばっかりです。


部屋が汚い→汚いのはやばいっていう一般的な声があるのは知ってる→他の人にはうまくできるのに…って思う→ますます自信をなくす→のループに入るとなかなか出られないし…。

ただ、今回はなんか…こう、脳内に「マジでやばい人間として行ってはいけない域に達してる」っていう自分と「もうどうでもいい」っていう自分がいたので、真剣に自分をネグレクトしてた気が…しますね…。



サラとソロモンにも「これが嫌だっていう思いを抱えたまま別の場所に移っても、結局同じ問題がその場で起きるだけで、結局そのまま変わらなかったら宇宙でひとりきりになるしかないね」的なセリフがあるんですが、部屋の問題もこれだと思いました。ここでできなかったらもうずっとひとりでいるしかない…。

また掃除についてはブログ書きたいと思います。

ではでは!