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ブーゲンビリアの塀の中には

"幸せの実がなる庭がある"

4日目:自分が「できていること」「思っていたかった」ことを認める

わ~アクセスが増えてる…と思ったら、まなつさん id:dokodeneru が記事で触れて頂いていたんですね…!ありがとうございます!!!!!

 

www.dokodeneru.com

 

まなつさんのこの記事を読んで、少しずれるんだけど、思い出したことがあったのでちょっと書きます。

 

私が田舎から東京の大学に進んだとき、私が一番願ったことは「友達ができますように」だった。高校では全くなじめず、いつしかひとりになり、ゴミを投げつけられたり私と話すのは罰ゲーム、みたいな感じになって、保健室登校をしていたので、本当にひとりでいいから友達がほしい、と思っていた。

 

私は大学でとある文化系のサークルに入った。合宿の後、どういう訳か「私 対 他の1年生女子」みたいになった。本当にどうしてこうなったのか覚えていないのだけど、どうしてもひとりになりたくなかった私はこういうことを言っていた。

 

「私、悪いところを直したいから、私に思うことがあったらこの際全部言ってほしい。」

 

たまたま、私の代は浪人生が多くて、年上のお姉さんが多かった。お姉さんたちは、「だなえのことが嫌いじゃないんだよ~?」と言いながら「こういうところがよくない」「ここがだめ」と丁寧にだめ出しをしてくれたので、私はそれを素直にきいた。
その後4年間、私は無事に楽しく過ごした。みんなと花火を見たり、旅行に行ったり、酒を飲みながらだらだらと話して時を過ごしたり。卒業したあとも結婚式に呼ばれたり。

彼女たちは意地悪をしたわけでもないし、嘲笑をしたわけでもないんだけど、「だなえのことは下に見ていい」という暗黙の了解があるようだった。何回言っても私に対して失礼な発言(「だってだなえさんのことは聴かなくていいでしょ、だってだなえさんだし」みたいな)を言う同級生がいて、他の学年や他の人からは「おかしい」と言われて、私も「おかしいからやめてくれ」と言っても、絶対に私の側には誰も来てくれず、にやにやと笑って見ているだけだった。

いつしか私が誘われない会合が増えて、その話を私がいる前でされて「あ、ごめんね~」と言われるので私は「ううん、いいよいいよ(にっこり)」と続ける、みたいなことをしていた。ばかみたいだ。

結局私に失礼なことを言う人とははっきり縁を切った。周りにも言った。
しばらくして、共通の知り合い、つまりはサークル仲間と会ったときに突然「まだ怒ってるの~?●●がああいうこと言うのに対して。早く仲直りしなよ~~」と言われた瞬間、「ああ、私はこの人たちから心底見下げられてるんだな、単なるけんかと思われているのか」と理解したし、これまで数年かけて言っていた「私は傷ついている」というのは無駄だったんだ、と思った。

ここまでが前段。めちゃくちゃ長い。


まなつさんの記事を読む前はここでストップしていた。
私はこの人たちから大切に扱われない、尊重されていない。傷ついた。という思い。

記事を読んでから、突然

「ああ、私はあそこで失敗したって、思いたくなかったんだ」
「あのサークルで、楽しかった思い出や記憶は確かにあったんだけど、それを【成功体験】だと思い込んでいたし、思いたかった」

というのが降りてきた。

私はそこで自分を尊重されていたわけでもないし、ある意味私はみんなに「私が悪いから、私が悪いところを直すから受け入れて」と言った瞬間、自分を尊重することを捨てたんだな、と、まなつさんの記事を読んで気づいたのだった。

心のどこかで「私はあそこでああやって人に自分の判断を委ねた、自分の価値を相手に委ねたから、楽しく過ごせた」「みんなの望む姿になれない私が悪いからだめなんだ」って思っていた。みんなと言っても、たかがサークルの数人だ。そこに私はずっといたんだな~~~と、ふっと分かったのだった。

 

そして、実際、私が大学で友人を見つけられなかったのか?
サークル以外に居場所がなかったのか?と言ったら、答えはNOだ。

 

私がどんな状況でも話を聞いてくれるのは留学のときの友人だし、
いまだに「ご飯食べよ~!」って誘ってくれて、会って話すのは語学のクラスの友人建ちだ。みんなで楽しいね~!って言ってまた会おうね、と言って時期は空いても必ず会いに行く友人たち。なんだ、ちゃんといるじゃん。そして、この人たちの前で、私は一度も「自分の悪いところ言って~!」と自尊心を明け渡したことがない。何かを引き替えに差し出すことなしに、ちゃんと友達を、居場所を作っている。

できてるよ~~~!!!
「自分はダメだから~~」とか言わなくても!
ちゃんと楽しく会って長く続いてる友人はいるよ!!!!!
私を大切に思ってくれる人から大切にされることが幸せだし、私もその人たちを大切にしたいし大切にするというのが幸せなのだ。
自分の存在を軽んじたり、どうでもいいな、って思ってる人に「私を愛してよ!!!受け入れてよ!!!」っていうのはだいぶ非効率だし、おそらく本当に望む形で受け入れられることはない。

でも、それをどこかで信じていたかったんだね。
あそこには友情や愛と呼ばれるものがあったということや、私はあそこで対等な関係を築いていると思っていたかったんだなあ……。



0日目1日目に書いた「認められたい!」という強い渇望とか、「自分が曖昧だなあ…」という観念がどこから来てるのかなあ?と思っていたら、ちょっとそのしっぽを捕まえた気がするぞ。

あと、これまで「自尊心がなんでこんなに無いんだろう…おかしい…昔はもっと生き生き自分を信じていたのに……」ってず~~っと長い間思っていたけど、そういうときは案外自分が「成功体験」って思っていたことにヒントがあるかもしれないな。って思いました。実際私もしばらくは「サークル最高~!楽しい~!」って思ってたしなあ……でもなんか行くとすごく傷つく思いがしてしんどくなっていたのだけど、そのとき「そう思っちゃう私がダメなんだ…だって私はここでダメだから」って思っていた……。
自尊心ってまなつさんの記事に出ている「自分のご機嫌の取り方を知っている」という状態にも近いのかなあ。って思うんだけど、なんというか、そこは人に明け渡しちゃうけないですね。「私はあなたを幸せにするから、その代わりお前は私の機嫌を察せ」というのと、「私をここで受け入れてください、その代わり私はあなたたちの望むように動きます!」っていうのは、自分の機嫌や価値を他人任せにしてるっていう点で共通…?同じ…かな…と思いました。

自分の機嫌が分からない人というのは発信型と受信型とかあるのかな…とか思ったけど、流石に眠たいのでそろそろ寝ますね。


また書きます。