ブーゲンビリアの塀の中には

"幸せの実がなる庭がある"

34日目:舞台に出会って人生が変わったという話 (CSL AWから1年)

「人生を変える作品」って気軽に出会う文字列だけど、実際にそういう作品に出会うことはなかなかない。まれごとだ。こういう出会いがあることは僥倖だと思う。
 
「自分の人生で出会った、かけがえのない作品」ならいくつか挙げられるけど、「人生を変えられる」まで感じたことはなかった、というのが正直なところだった。
 
でも、今はひとつだけ「これで私の人生は変わった」と言える作品がある。
 
「Club SLAZY - Another World-」(以下CSL AW)
上演時期:2016年7月6日~2016年7月17日
 
 
 
 
この作品に出会っていなかったら、今の自分はどうなっていたんだろう。
あの日、あの動画を見て、「あ、この人いいな、もっとみたいな」って思わなかったら。
あのときチケットを思い切って買わなかったら。
そもそも私があの原作を好きになってなかったら。
 
どこに運命の分かれ道があるのか分からない。
でも、こんなに「あのときの自分の選択に感謝した」ということはない。
 
いつも自分の選択に自信がなくて、他人から選ばれることに興味があって、疲れ切ってもう自分の選択はどうでもいい、他人が思いたいように思えばいい、とやけになっていた自分が、今、人生で初めて「次の10年をどうすごそうか」と前向きになれるのはこの作品のおかげだ。
 
ちょうどこの作品を初めて観劇して1年がたったので、自分のエモーションをまとめてみることにする。
 
※以下、「この作品はどういう作品か?誰が出てるの?」といった話は一切しません(最後に、ほかの方が書かれた最高にわかりやすいブログのご紹介だけします…)
 
 
CSL AWという作品は、ほかのClub SLAZY(以下CSL)シリーズとは異色で、1~4、Finでは「愛のあたたかさ」「人を思うということの尊さ」というのが根底にあるけれど、AWでは「『愛』という甘美な言葉の裏にある暴力性」という点にクローズしている。
 
「あなたのためを思って」「あなたのために」という言葉は、何も知らない第三者から見たら「愛されている」のだと思う。
 
確かに、そこに「愛がない」とは言い切れない。でも、それは本当に、その「あなた」のためなのだろうか。
 
 
CSL AWでは、『あなたのため』という行動が全部裏切られ、破綻し、すれ違う。
 
「一人前のLazy(ソロステージをする演者)になってほしい」という思いから、ActはEyeballに「自分が教わってきた」教育を施す。自分はスパルタで育ってきて成長できた、だから自分の弟分にもそれを行う。でも、Eyeballの優しい性根では受け止められない。Eyeballはひとり「自分が弱いのがいけない」と思って苦しむ。そして、「強くなりたいから出たい」と告げたEyeballに対し、Actは「裏切られた」という思いを爆発させてしまう。
 
「この人は自分を、自分たちを任せるに値する『大統領』だ」と、V.Pは自分を懸けて、後輩でありトップエース(この店で最も"偉い"とされるNo.1)のWillを支える。Willはとても美しい、ただとても気が弱く、常に「自分はトップにいていいのだろうか」というプレッシャーと戦っている。「自分はそんな人間じゃない、ここから逃げ出したい」と自己否定している人間に、常に「あなたはトップだから、私が支えるから。私はあなたのためにいる、私なんていらない」というほどにいて、常に先回りする存在がいるというのは、とても"圧"を感じるんじゃないのだろうか。
 
「愛されていないわけではない、おそらく自分は目に見えて分かる虐待を受けたわけでもないのに『愛されていない』と感じる、それは私がよくない人間だからだ、できが悪い人間だからだ、私は本当は愛されるべき存在じゃないのだ」とずっと感じて、苦しくて、つらかった。
 
インターネットを開けば、自分よりもっとつらい環境にいる人がいる。
壮絶な人生、と呼ばれる話もたくさんある。
そんな中、私は属性だけ見たら何もわかりやすい傷がないのに、どうしてこんなにむなしくて、つらくて、愛を感じられないのだろう。
 
そもそも、これは本当に「つらい」なのだろうか。
自分が弱いから「つらい」って思っているだけなんじゃないか。
 
もう「つらさ」とも言えない自分の中の空洞が、この作品を見て、埋まっていった。
 
『「ああ、愛というものに含まれる『暴力性』という存在を認めていいのだ』と、受け入れられるようになったのだ。
 
 
 
作中に出てくる、一番重いシーンはWillがV.Pに別れを告げるところだ。
「感情のない世界があるんだって」と告げ、「僕、そこでならひとりで生きていけると思う」と意志を見せる。「あなたのため」と全てを自分に捧げるVice Presidentに自立を告げる。まさか、自分から離れるなんて。信じてもいなかった、というV.Pは「エレガント」という自分の哲学を捨ててでもすがる。「それが時には暴力になるんだ!」というWillの言葉は、相手も、自分も傷つける。それでも、言わなくてはいけない。Willがさっさとジャケットを脱ぎ、"理想の世界"に向かう中、呆然として、別れを認めたくなく、慟哭するV.P。
 
このシーンを初めて見たとき、私は頭がキーンとして、思わず叫び出しそうになった。「私は何を見させられているんだ、何を見ているんだ」と。
 
これは、私の家族の周りで、よく見る風景だった。
 
 
私のいとこはもう、20年以上姿を見せない。
「あなたのため」という言葉で息子たちを縛った叔母の元をひとり、またひとりと去ってしまって、私ももう気軽にいとこたちの名前を呼べない。
帰ってこないいとこたちの姿をそこに重ねてしまって、その日はとても蒸し暑かったはずなのに、震えが止まらなかった。
 
私自身も、父親から「俺の娘なんだから」と言われて育った。
「俺の娘なんだから、お前はできるんだから」この大学にも通る、お前ならもっと優れたところに行ける、お前はやれる。実際、私はなんとかそのハードルを飛び越えることができていた。
 
「じゃあ、もしその『できる』ラインから外れてしまったらどうなるんだろう」と思ってずっと生きてきて、実際に私は就職で思うような(父親が望むような)ところで働けず、たまたまうつになってしまった。父親の理想像からは遠ざかってしまった。
 
そこに、「早く結婚しろ、子どもは早く産め」というプレッシャーをかけられたのも輪を掛けた。昔は「色気づくな、髪の毛より頭の中を磨け」と言われてきたのに、ある日突然男を作って結婚しろって無茶な話だ。できる人もいると思うけれど、自分はそういうことができる人間ではなかった。
 
ただ、そこで親を恨む気持ちはわかなかった、そもそも怒りや恨みは出てこなくて、困惑、混乱、どうしたら自分は認められるのか、という途方にくれた思いだけがあった。
 
でも、そこから「逃げる」「去る」という選択肢があるのだ。本当は。
苦しいと思うことは間違ってないのだ。
 
この作品を見るまでは、思いもしなかった。
 
 
 
この作品を見てから、私は親を嫌っても良い(必ず嫌えというわけではない、嫌うという選択肢もあるということ)とか、『「愛されているはずなのにつらいと思うこと」は間違っていると否定しなくていい』と素直に受け入れられるようになった。Eyeballの姿や、Willの姿を重ねた。つらいと思っても、去ってもいい。そこに自分の愛がないわけでも、相手の愛がないわけでもない。愛されていることと、それに応え続けることというのはイコールじゃない。
 
前向きに、きらきらと世界が輝いて見えた――というような、すっきりとした話しではないけれど、これまでぼんやりとぶれていた心が、ようやく自分に焦点を向いた。
 
 
 
そして、「美しいものを美しいと言っていい」という許可を自分に与えることができた。これも、客観的に見たらばからしい話にみえると思うけれど、私はやっぱり家庭で「イケメンにきゃーきゃー言うのはバカで人間のやる行為ではない」「男が歌って踊るのは気持ち悪い」みたいな親の意見をすり込まれたりして、美しい男を回避して生きてきたのだけど、いや、いいじゃん!って。ぽろっと自分に許せるようになった。自分に何かを許すことって、大がかりって思っていたけど、案外ぽろっと外れるのか!と驚きもあった。
 
(ブログでは最後になったけど、実はこれがきっかけになって、ぽろぽろと家族について考えることになったのだ。「何を見たんだ!?」という衝撃&「美しいな…すごいな…」と感じる→「えっ、美しいって思って…いいんだっけ???」と自分に問う→「いや…いいでしょ…っていうかこれはもしかして…」と気づく→上記のあれこれ…という感じです)
 
 
1年間、何回もCSL AWについて書こうとして、何回も泣いたり、重すぎる、必要以上に親を責め立てている、と思って、手が止まった。でも、よううやく、書くことができた。うれしい。
 
私は去年この作品を見るまでずっと「死にたい」「生きてる価値がない、早く死のう」って思っていたけれど、今は、もっとたくさんの出会いを経験したい、って思っている。
 
自傷行為もやめた。リスカとか、目に見える形じゃないけれど、私はとにかく自傷行為をやめた。私は、私が望む形でお金も気持ちも心も体も使っていきたい。楽しいことがあった、と思って死にたい。
 
まだしばらく懐かしむけど、いつかはきっと忘れる。
でも、今はまだこの作品への愛を抱えて生きていく。
 
 
 
 
※この作品について、全体の説明については優れたほかのブログがありますので、そちらをご紹介します。
 
おそらくファンなら誰もが一度は読んだ、「つれづれと」様。
AWまではこちらのブログに勝るものは…ないって思っています。
 
 
シリーズ全作品、全キャストについてわかりやすくまとまっている!
「世界の中心で好きを好きだと叫びたい」様。
 
 
ほか、いろんな方の感想もありますが、シリーズのことを知るには上記2記事がおすすめです。。。
 
 
Club SLAZYという作品は、同名の架空のメンズキャバレーでの人間関係を見る話だけど、いわゆる「ホストもの」とか「のしあがってやる」という話では一切ない。
 
私個人として、「人を思うということ」「出会いと別れ、それは本当に『悲しい』ものか」「誰かのために動くということ」とか、「愛と優しさと、その裏側にあるもの」に愚直に、不器用に向き合っていく人間たちの物語だな、と思っています。