ブーゲンビリアの塀の中には

"幸せの実がなる庭がある"

37日目:いたいとげいたくないとげ

うっかりfacebookを見てしまったのが失敗だった。通知欄に大昔に別れた彼氏の誕生日ですよ、というのがあり、今日はちょっと気力もあるしと思って久しぶりに見てしまった。
 
ですよね、子ども産まれてますよね~~~。
 
とっくの昔に父親になってるんだろうな、と思っていたのだけど割と最近だったらしい。きつい。
 
あのまま結婚までいたら、ここでニコニコ笑っているのは自分だったのだろうか?と思うけど、それでもやっぱり「あのまま結婚はできなかった」という気持ちは否定できない。当時の人付き合いを振り返ると、「今の自分がそのままタイムスリップしたらある程度うまく対処できるだろうな」というのはいくつかあるけど、相手の家族とは今をもってしてもしみじみ「絶対無理」という気持ちにしかならないので、これはやっぱり無理なんだと思う。それが、経済的価値や社会的価値とトレードオフだとしても、私にはできなかっただろう。
 
 
ぴかぴかのエリートで、人柄も良く、賢く、そんな相手といると、自分が常にみじめで仕方なかった。自分だって恥ずかしくない家族がいる、世界レベルで賢くはないが一般社会で生きて行くには充分なほどある、と思っている。だけど、一緒にいると、自分が何もできなくて、相手の庇護を受けていないと生きていけなくて、みっともない、英語もろくに話せない、お茶やお花や美術や、そういった教養もそういった社交で生きて行くには全然足りなくて、と思うと絶望のほうが大きかった。
 
私がそういう絶望にいると、なんでもやってくれるのだけど、そのなんでもやってくれるというのが更にみじめさを増して、結局私はそこから逃げた。
 
 
海外赴任をしている、もしくはついていってるかつての友人、子どもを産んでいる友人、結婚している友人、何か自分のやりがいのあることにがんばっている人(NGOを立ち上げている人までいる)がずらずらといるfacebookを見ると死にたくなるし、自分はまるで価値がないように思えてくるし、今でも自分はみっともないと思っている。今でも。
 
 
そしたらきょう、こんなブログ記事を見つけた。
 
 
汚部屋掃除に取りかかることにしたので、方法とか心構えとかを調べていたら出会った。
 
"misfit"
 
とてもしっくりきた。そして、最後の段落に泣いた。
 
まだ動画を見ていないのだけど、一刻も早く見ようと思う。