ブーゲンビリアの塀の中には

"幸せの実がなる庭がある"

12日目:途方に暮れる日もあるけれど

ア~~~~……1500字くらい書いていたのに、電源切れて、バックアップもされていなくて、すごくしょげている。でも内容はめちゃくちゃ暗かったから、まあ、いいか…いいか???鬱々とした内容だったけど、消えたのはやっぱりショックです。

 

 

最近「オタクだけど彼氏/旦那/子供がいる」みたいなブログを読んだり、電車の中できっちりしたお洋服を着て子供を連れている自分より年下の女性を見ると心底「あ~~~私何してるんだろう…」って気持ちになる。嘘。ブログを読むと「ケ~~~ッ いいじゃね~~~~か」ってなるし電車のなかだと「この夫婦絶対私より若い…無理…本当に生きていたくない…」って思う。性格悪いし落ち込みすぎだろ!!

 

 

自分の中で、結婚してない自分、子供を産んでない自分、まともに恋愛してない自分がとても恥ずかしいし、そういう自分が嫌いだし、同時に「自分には普通の結婚とか恋愛は無理」って呪いをかけているところはある。

「だって私は●●だし、××だし、こういう自分を好きになってくれる人なんているわけないし、もしいたとしてもその人はまともな人じゃないよ」って思ってる。文字にすると本当にこれ失礼だな??

 

 

実際、20代のころの自分はめちゃくちゃで、今まだここには書けないけれど、まあ普通の人はドン引くし、もっとやってる人からすると「へっ」て笑われそうな……的なまともからはちょっと離れたことをやっていた。今から思うと性欲と若さと自分をもてあましていたし、自傷行為のようなものだったかもしれないし、もっと言うと、自分が生きていくということをなめていた。自分の足で生きていくときに、こういうことをするのはよくないよ、自分を後々まで痛めつけるよ、というのは薄く脳にあったけれど、それより目の前の、今の衝動をどうにかしたかったし、投げやりになっていたかもしれないし、落ちている自分を自分で哀れんで気持ちよくなりたかったのかもしれない。今では後悔というか、どうしてこういうことをした?という気持ちしかない。

「かもしれない」ばかりだけど、結局のところ自分の意志で明確に決めた訳じゃないからこうなるのだ……。

 

 

昔はここで「え~~~ん、だから私はダメなんだ~~~~死にたい」って泣いて鬱々して過ごしていたけれど、今、ほんの少しだけ良いことがあるとすれば、自分の応援している俳優さんが「絶対自分のことを嫌いって言ったらいけない、自分だけは自分を好きでいないと行けない」というようなことを言っていたので、写真を見ると「自分をベコベコに否定したらいけないよな~~」って思えることですね。へへ。いや、やっぱり過去のあれこれがあって、自分を嫌いな部分もたくさんあるんですけど。

 

好きになったものにこうやって影響を受けるのは良いものだ。というか、こういう俳優を好きになって良かったよな~~~応援できる~~~!!!と改めて思ったり……へへ……(ここらへんは単なるオタクとしての発言)

 

 

というかさっき、消えたブログは割と鬱々とこういう自分は嫌い~~え~~んという感じの暗いトーンだったん!です!よ!泣きそう~泣こうかな~~まあ泣く自分も大切ですけどね??

『サラとソロモン』をぱらぱら読む→好きなものを見るで少し気分があがりました。

 

ああ、お金とか旅についても書きたかった。

ちょっと今日はここらへんで。